イルミネーション・『大きなひとつのコンセント』

雑記

イルミネーションを見て「電気代いくらなんだろ」などと腐すフェーズはとっくに終わった。今はもう七色に輝く発光ダイオードの群れを眺めては、心底から楽しんでいる。キラキラしているものは、やはり良い。ウケてしまう。もし自分がメーカーの製品開発室なんかに居ようものなら、提案する新商品は全てピッカピカに光らせるだろう。愉快だし。世の製品開発室の人はえらい。光らせたい気持ちをグッとこらえて、おしゃれなプロダクトを作っている。ちょっとぐらい光らせてもいいのに。

他のイルミネーションの良いポイントに、うるさくないことが挙げられる。無論、人混みに入れば喧しいし、たまに無粋な音楽(たいていはクリスマスソング)が流れていることもあるのだけれど、オフィス街などのイルミネーションはたいてい環境音の中でぴかぴかしていることが多い。ノイズキャンセリングイヤホンを装着すれば、無音のくせして眼前に広がる光景が騒々しくて面白い。

それから、イルミネーションが消える瞬間も好き。地元でしこたま飲んで終電を逃し、ほうぼうの体で最寄駅まで歩いた夜半過ぎ、駅前のちゃちいイルミネーションの電源が落とされるところを見た。バツンッと一気に輝きが失われるのかと思っていたが、ほろほろほろ……と電球が個々に消えていった光景を覚えている。雪が儚く散る様子に似ており、なぜか趣深かった。上機嫌で帰ったが、その日は苦手なワインを浴びるように飲んだので、翌朝地獄を見た。

あと、これは「電気代いくらなんだろ」に近しい感情なのかもしれないが、電球や発光ダイオードのひとつひとつがどこかの電源に接続されていることを考えると、ぞわぞわする。性癖なのかもしれない。ケーブルはひとまとめにされているのだろうし、屋外であれば電源だっていろんなところに分散されているのだろうけれども。大掛かりな電飾であれば、使うコンセントもめちゃくちゃ大きかったりするのかしら。『おおきなかぶ』みたいに、三人がかりじゃないと引っこ抜けないくらい大きなプラグだったらいい。

実は日本中の電力が、地下施設に隠された、原理のわからない、信じられないくらい大きなひとつのコンセントから供給されていたらロマンチックだと思う。火力発電とか風力発電とか原子力発電とかは実際には存在しなくって、それらはこの「大きなひとつのコンセント」を隠すためのカバーストーリーでしかなかったらどうしよう。日本全国の電力会社のエリートだけが、仕組みのわからない電力源を保全するために日夜働いているかもしれない。このコンセントがいつから存在していたのかは誰も知らないが、時折天井から巨大な右腕だけが現れて、コンセントが抜けていないかを確かめるらしい。「きっとあの腕は”人外”や”神様”、”上位者”みたいなものの一部なんだろうね」と施設の所長は語る。「そんなに大変な仕事じゃない。そもそも、大変な状況になったからと言って、人間の力でどうすることもできない領分ですから。今は、あの”神様”が、好奇心でシャープペンシルの芯みたいなものをコンセントの穴にまた突っ込まないかだけが心配です」。「”また”? 前例があったんですか?」と聞くと、所長は何も言わずに背を向けて、施設の奥に歩いていった。

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