『青い犬の目』(ガルシア=マルケス)で目についた比喩

(7/24 01:10)

G・ガルシア=マルケスの『青い犬の目』を読みました。面白かった。以下はアソシエイトリンク。

この短編群はマルケスが若い頃に書いたものが多いらしく(ちゃんと調べてないです)、だいたい死とか不在とかそういうテーマを扱っているものが多かった。

マルケスを読むときは噎せ返るほど濃密な文体、飛躍した比喩とイメージを期待しているんだけど、この短編集はじとじとっとした湿度の高い感じ。だいたいベッドに誰かが横たわってて、外は曇り空もしくは雨で、人々は死について思いを張り巡らしている……的なシチュエーションばかり。

一回普通に読んだので、二回目は不真面目にぱらぱら目を通しつつ、目についた比喩などをいくつか抜粋してみる。とにかく比喩が多いので、目についたやつだけです。

もし手元に電子化されたマルケスの作品集があれば、⌘command+Fを押して「よう」とか「まるで」で検索するのにな……腐るほどわけのわからん直喩が出てきて、きっとハッピーな気持ちになれると思う。

三度目の諦め

7歳の時に肉体的に死んだ男は、棺桶の中で意識を保ちながら25歳まで寝転んでいたが、とうとう身体から変な臭いがしはじめて、生き埋めの恐怖に苛まれる話。

ダイヤモンドの角のような鋭さで痛みが襲ってくる一瞬を、敏感な両手の手のひらでとらえたいとも思った。飼い猫のような動作で全身の筋肉を縮めた瞬間、[…]

この痛んだ水晶、氷の星を頭蓋骨の内壁に押しつけさせるこはこれ以上許すまい、と考えていた。

想像の中の唇は、喉に詰められた氷片の刺すような冷たい感触のために、なかば開いていた。

腹は胡桃の木のように固くなっていた

全世界の動きが突然止まり、その静寂を破るものは誰ひとりなく、大気の軽やかな静謐を乱すまいとして地上の生物の肺がすべて呼吸をやめたかのような、それは安らかな眠りだった。

「生き埋め」で思い出すのはガキの使いやあらへんで!でダウンタウンの松本が球場のどこかに埋まり、メンバーが野球をしている中で急にゾンビとして地中から現れる、という謎の企画。この企画のせいで松本は閉所恐怖症になったとのこと。確かに生き埋めは怖い。

死のむこう側

双子の兄弟が死んでいく様を見て自らの死も幻視した男が悪夢に苛まれる夜の話。

朝の光や、調子の狂った手回しオルガンのように静けさを破っていたコオロギや、庭から流れてくる冷気が、彼を再び現実の世界に引き戻した。

それは今や舞台の奥の垂れ幕のようにすべての思考の背後にどっしりと構えて、[…]

重傷を負った犬のようにシーツの下で身体を折り曲げ、大声をあげたかと思うと、次には塩の詰まった喉の奥から絞り出すような末期のうめきを噛み殺していた兄弟の姿を見たのは、だいぶ前のことだった。

腫瘍は丸い形をしていてーー今の彼は同じ感覚に悩まされていたーー、体内に太陽を抱え込んだかのように大きく腫れ上がり、黄色い虫が邪悪な糸を伸ばして内臓に絡みついたように不快なものであるのであろうと、わたしは想像した。 […]初めのうちは小さな玉だが、やがて分裂しながらだんだん大きくなって、胎児のようにわたしの腹の中で成長していくことだろう。そして腫瘍が移動し始め、夢遊病の子供のように腸の中を奥に向かって転移するとき、わたしはそれを自覚するだろう。盲人のような仕草でーー鋭い痛みをこらえようとして、彼は胃のあたりを手で撫でたーー、暗闇に向かってもどかしげに手を伸ばし、暖かく居心地のいい子宮を探すかのように。

しかし今、しこりが、厳しく恐ろしい現実が無脊椎動物のように背中にずっしりのしかかってくると、何かが空気の中に拡散し、ぽっかりと虚無の穴があいたような気がするのだった。まるで自分が立っている場所のすぐそばで急に崖が崩れ落ちたような、あるいはいきなり斧で身体の半分を切り落とされたような気持ちだった。 

エバは猫の中

あまりの自分の美しさに辟易している女性が、自らの身体を離れ、猫になろうとする話。オチがいい。ネタバレとかに悩むものでもないので、書き起こします。

彼女はその時になってはじめて、最初にオレンジが食べたいと思った日から、すでに三千年の歳月が過ぎ去っていることに気がついた。

はい好き〜〜〜って感じの終わり方だった。

まるで腫瘍か癌かのようにうずいていた彼女の美貌は、気がつくと、すっかり消え失せていた。 […]それは少女の頃には身体に重くのしかかっていたものだったが、抗いようのない衰えを見はじめ、瀕死の動物の最後の悶えのような身ぶりをちらと見せて、ーーいずこへともなくーー消えていったのだった。

人格の一部になっていたあの固有名詞のかけらを、彼女はどこかに捨てなければならなかった。[…]道の曲がり角か、町外れの片隅に、捨てなければならなかったのだ。あるいは、着古したコートのように、二流のレストランのクローゼットに置き忘れてきてもよかった。

彼女は、焼けた針をばらまいたようなベッドに横たわって過ごした、あの果てしなくつづく時間のことはよく覚えていた。

死は、猛烈な勢いで獲物に噛みつきそれを倒すクモのように、彼女の命を締めあげていた。

三人の夢遊病者の苦しみ

生きるのをやめてしまった女の人の話。目が滑ってあんまりちゃんと読めなかった……いつか誰かと読めればいい。

わたしたちは、大きな声が割れてちらばったガラスを継ぎ合わせられるかのように、歌をうたいはじめ、手拍子を打った。

わたしたちは壁の掃除をさせ、中庭の灌木を切るように命じたが、それはまるで夜の静けさの中の、小さな塵を取り除こうとしているかのようだった。

鏡の対話

遅刻気味の朝、鏡の前に立って髭を剃っていたら、鏡に映る自分と自分の動作にズレがあるような気がして……みたいな話。

事務所勤めの金融業者のパズルを解くような生活のことをーー早口で数字を読み上げる毎日の中には、中産階級の数学めいた何かが確かに存在していたーー彼は思い描いてみた。

その表情は、複雑で歪んだ姿をしてぼんやりと浮かび、ある種の数学的法則によって幾何学が新しい立方体を、光が何か特殊な造形を試みているかのように見えた。

彼は熱心に刷毛を動かしつづけた。無邪気に泡と戯れている姿は、図体の大きな子供が遊んでいるようにも見えた。彼は重苦しい胸に、まるで安酒をあおったように明るい喜びが広がっていくのを感じていた。

やがて彼は満足感ーーそれは実に明瞭な満足感だったーーを覚え、大きな犬が尾を振っているような安らかな気持ちになった。

青い犬の目

夢の中で女性と会う話。なんでもこの女性は至る所で、「キーワード」、つまり「青い犬の目」なる言葉を口にし、テーブルに刻み、壁に描き、そして怒られているらしい。「青い目の犬」じゃなくて「青い犬の目」。青い犬が居たら目まで意識できるかな……

大きな瞳はあかあかと燃える火を囲む灰の色のように見えた。

<<ときどき心臓の上で眠るようなとき、わたしは身体が空っぽになり、薄っぺらなトタンになってしまったような気分になるわ。すると身体の中で血がどくどく脈打ってきて、誰かにお腹の中をノックされたような気がする。>>

六時に来た女

ホセという男がカウンターに立つレストランに六時ぴったりに来た女。女は娼婦で、ホセはこの女が好きで、でもどうやら今日は女の様子がおかしい、もしかすると誰かを殺してきているかもしれない……みたいな話。何かが明らかになるわけではないのがおしゃれ。会話だけだから演劇とかでもできるかもしれない。

ホセは再び頰を赤らめた。それは全ての秘密をいちどきに暴露された子供のような、おどおどした、正直な、心の底から恥じている態度だった。

男は同情と不信の間を行きつ戻りつするような足取りで近づいていった。

男はまるで牛のような深く、悲しげな目で女を見た。

彼女は、怪しい、未知の形相のものが住む、奇妙な地下の世界にもぐってしまったかのように、物思いに沈んでいった。

天使を待たせた黒人、ナボ

馬の世話係を任されていた黒人の少年、ナボは不用意にも馬の後ろに立ち、したたかに蹴り飛ばされ、長きに渡る昏睡(?)に陥ってしまう。意識がはっきりしない間、どうやら天使と思われるよく分からない存在と会話をしたり、思い出を反芻したりする話。この短編集の中では一番好きだった。

灰色の馬のつややかな毛並みが、暖かい熾火のように記憶の底に残っていたが、馬はそこにはいなかった。

町の広場に出かけていった土曜日の夜からあとのことは、濡れたスポンジでぬぐい去ったように、記憶がすっかりなくなっていた。

馬のしっぽを櫛でといたあの日から今日まで、彼はずっと廃人同然の暮らしをしてきたのだ。煌々と明かりのともった部屋に入れられて目の眩んだ牛のように、錯乱と、朦朧と、混沌の世界を生きてきたのだった。

「天使を待たせた黒人、ナボ」が一番良かったので、いったんこれで終了。あと「誰かが薔薇を荒らす」「イシチドリの夜」「マコンドに降る雨を見たイサベルの独白」も収録されている。「イシチドリの夜」も良かったな。でももうタイプ疲れしたからいったんおしまいです。(7/24 14:20 いったん寝ました)

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